こんにちはもんたです!今回のお話は
『スコッチウイスキーの歴史』
についてお話していこうと思います!!
みなさんは「スコッチウイスキー」をご存じでしょうか??
世界には「五大ウイスキー」と言われる、5つの産地で造られるウイスキーがあります。
その中でも世界で一番流通量が多く有名なウイスキーがスコットランドで造られる「スコッチウイスキー」になります。
そのため、ウイスキー愛好家からすると知ってて当たり前のウイスキーですが、
今回はウイスキー初心者の方に向け
- 「スコッチウイスキー」の歴史背景
- 「スコッチウイスキー」の歴史の長い代表銘柄
こういった内容でお話していくので、この記事を読んでいただければ「スコッチウイスキー」の起源やたどってきた歴史を知る事ができる思います。
ウイスキーに挑戦したい方、まずはスコッチからと考えている方は、ぜひ最後までご覧になって下さい。
- スコッチウイスキーの歴史背景がわかります
- スコッチウイスキーの魅力がわかります
- スコッチウイスキーの老舗銘柄を知ることができます
世界№1シェアを誇るスコッチウイスキー
スコッチウイスキーはイギリスのスコットランドで製造されるウイスキーです。
イギリスの法律上の定義では、原料の糖化からアルコール発酵、蒸留、熟成に至るまで、全ての製造工程がスコットランドの地で行われたウイスキーのみをスコッチウイスキーと呼ぶそうです。
諸説ありますが、ウイスキー発祥の地ともされるほど歴史が深く、
ウイスキーの生産量、世界的な知名度や人気の有名な銘柄の数などをみても世界№1のウイスキーといってもいいのではないでしょうか。
世界でウイスキーの販売数を銘柄別にランキングにしてみると、
世界№1をはじめ上位4位までをインドのウイスキーが独占しているそうです。
5位にスコッチウイスキーのジョニーウォーカー、6位にアメリカンウイスキーのジャックダニエルと五大ウイスキーの銘柄が続きますが、
販売数でみるとインドのウイスキーが上位を占めているのには理由があります。
インドは世界第2位の人口大国で14億人もの人がいます。インドのウイスキーはそのほとんどが国内で消費されますが、その圧倒的な人口により世界での販売数ランキングでも上位になってしまうのです。
スコッチウイスキーの歴史背景
スコッチウイスキーの歴史を紐解く前に、そもそもウイスキーがどのように始まったのかみていきましょう。
ウイスキーの歴史は『蒸留技術』の歴史
ウイスキーは蒸留酒なので、もちろん蒸留技術を使用し造られるお酒になります。
つまり、蒸留技術が発明されてからになるため「ビール」や「ワイン」といった醸造酒と比べ、ウイスキーの歴史は比較的浅いものになります。
では蒸留技術はいつ生まれ、ウイスキーはいつから造られていたのでしょう?
蒸留技術は紀元前2000年頃のメソポタミア文明期のバビロニア人が生み出したとされ、当時は草花を煮詰めた汁を香水などにするためにその技術は使われていたそうです。
その後、古代エジプトや古代ギリシャなどで海水(塩水)から飲み水を作ったりと、蒸留技術の幅が少しづつ広がっていきますが『蒸留アルコール』の精製はまだまだ先になります。
8世紀頃の中東アラブ、錬金術の研究の中で様々な液体を蒸留技術により造り出し、蒸留アルコールが造られていた記録が残っています。
それがヨーロッパに伝わり、修道士などが病気の治療薬として造るようになります。彼らはその液体を『アクアヴィータ(命の水)』と呼び、それがウイスキーやブランデーの原形とされています。
ウイスキー発祥説とは?
蒸留技術と錬金術の研究により生まれた「蒸留アルコール」ですが、「薬」としてではなく嗜好品として人々に飲まれるようになったのはいつからなのでしょう?
ウイスキー発祥の地とされているのは
- スコットランド発祥説
- アイルランド発祥説
の2つの説があります。
①『スコットランド発祥説』
1494年、スコットランドの王室財務記録に「修道士ジョン・コーにモルト(麦芽)を支払いアクアヴィータを造らせた」という記述が残されています。
(「アクアヴィータ」とはウイスキーの事を指します。)
つまり、当時スコットランドの王室ではウイスキーを造り、それが飲まれていた事がわかります。
②『アイルランド発祥説』
1172年、イングランドがアイルランドに侵攻した際、出兵した兵士から「アイルランドの民衆が「ウスケボー」という蒸留酒を飲んでいた」との報告が伝わっているそうです。
この「ウスケボー」がウイスキーの語源ではないかと考えられていますが、こちらの説は明確な証拠がないため真相は定かではないようです。
2つの説を比べるとアイルランド発祥説の方が古いのですが、今のところ確証がないことからウイスキーの起源についての論争はまだ決着がついていません。
スコッチウイスキーの歴史
スコットランドのウイスキーの歴史は古いので、スコッチウイスキーの歴史を知ることでウイスキーがどのように進化し、世界へと広まったのか知ることができます。
という事で、いよいよスコッチウイスキーの歴史を紐解いていきましょう。
ウイスキーは行き場を失った修道士が広めた
16世紀(1501年~1600年)それまで修道院が「薬酒」として独占的に製造していました。
しかし、1536年に宗教改革が起きたことで修道院が解散させられます。それにより行き場を失った修道士たちは生活費を稼ぐためにウイスキーの造り方、すなわち「蒸留技術」を人々に教えていったそうです。
そうしてウイスキーは農民や一般市民にも広まり、嗜好品として飲まれるようになっていったとされています。
この頃のウイスキーは現代に知られる琥珀色ではなく、いわゆるスピリッツ(ウォッカやジンなど)のように無色透明の液体だったと言われています。
密造時代に起きたウイスキー革命
1700年代に入り、スコットランドはイングランドに併合されます。
グレートブリテン王国(イギリスの前身)が成立されたことにより、スコットランドの蒸留所に課税が行われます。
戦争続きの財政理由など様々な名目により税金は釣り上がり、1725年にウイスキーの原料である麦芽に対し重税が課せられた頃には、蒸留所の多くは廃業を余儀なくされたのです。
しかし、そんな中で人々は隠れてウイスキーを造り続けます。
地下に潜り、夜に蒸留を行い、政府の目を盗み密造を行っていたそうです。そうして造られたウイスキーは販売の機会を待つ為にシェリー酒の樽に入れ保管することになり、様々な所に隠されました。
そしてウイスキーに革命が起きます。
しばらく経ったあと樽から出してみたら「琥珀色をした芳醇な香りがするまろやかな液体」に変貌を遂げていたのです。
この偶然の出来事により、「熟成」という考えが生まれました。
さらにこの密造時代に、麦芽を乾燥させるためにピート(泥炭)が使われたり、単式蒸留器を用いて2回蒸留する製法なども考案され、それによりウイスキーは飛躍的に進化したそうです。
酒税法改正と密造時代の終わり
皮肉にも密造ウイスキーの品質は正規業者の製品を凌駕し、スコットランドで消費されるウイスキーの半分以上が密造酒であったとされています。
当時のイギリス国王ジョージ4世も密造酒「ザ・グレンリベット」を愛飲していたが、国王が密造酒を好むことの是非により、密造の原因となる酒税の見直しが行われます。
酒税法の改正が行われ税率が引き下げられると、「ザ・グレンリベット蒸留所」を皮切りに次々と政府公認の蒸留所が誕生していきます。
そして一方の密造ウイスキー造りはだんだんと減っていき、ウイスキー製法の基礎を築いた密造時代は終わりを迎えていく事になったそうです。
ブレンデットウイスキーの誕生
1826年、スコットランド人のロバート・スタインが『連続式蒸留器』を発明する。
連続的な蒸留が可能になった事でウイスキーの大量生産が可能になります。さらにトウモロコシや小麦などの安価な穀物を使用した事で「口当たりが軽くクセのないウイスキー」が生まれました。それを「グレーンウイスキー」と呼ぶようになります。
対して、従来の大麦を使用した単式蒸留器によって造られるウイスキーを「モルトウイスキー」といいますが、
1860年、この2つのウイスキーを混合し味を調整する製法が考えられ、「ブレンデットウイスキー」が誕生しました。
このブレンデットウイスキーこそがスコッチウイスキーの歴史ともいわれるほど主流の存在となり、洗練されたウイスキーを造るべく試行錯誤が繰り返され、多種多様な銘柄の誕生へと繋がっていくことになるのです。
スコットランドから世界へ
ではウイスキーはどのように世界へと広まっていったのか。
これはスコットランドを含むイギリスという国の歴史背景と深く関わってきます。
1600年代前半、当時イギリス国内での宗教弾圧から逃れるためにキリスト清教徒たちは船に乗りアメリカ大陸へと渡ります。これをきっかけにアメリカ大陸を植民地化していきました。そして1700年頃イギリスからの移民によりウイスキーがアメリカ大陸にもたらされたそうです。
また、1775年のアメリカ独立戦争、1783年アメリカ独立後のウイスキーへの重税、こういった時代の流れの中でウイスキーはカナダにも伝わります。
そして1853年にウイスキーはアメリカの黒船とともに日本にも上陸。1900年代には「日本ウイスキーの父」と呼ばれる竹鶴政孝がウイスキー造りを学ぶためスコットランドに留学もしています。
スコットランド同様歴史の長いアイルランドを除くと、五大ウイスキーのうち残りの三カ所「アメリカ」「カナダ」「日本」にはスコットランドを起源に広がっていることがわかります。
創業の古い蒸留所とその代表銘柄
スコッチウイスキーの歴史背景を知ると、時代の流れの中で生み出されてきたウイスキーを味わってみたくなりませんか?
次は、スコットランドで現在も稼働している蒸留所の中で「創業の古い蒸留所」とそこで造られるウイスキーの銘柄を紹介していこうと思います。
グレンタレット(Glen turret)【1775年創業】
最初に紹介するのは『グレンタレット蒸留所』です。
グレンタレット蒸留所はスコットランドの南ハイランド地方にある蒸留所です。
1775年創業となっており、正式な記録によると現存する最古の蒸留所という事になっています。さらに密造時代を含めると1717年から存在している記録が残っており、スコットランドのみならず世界でみても古参の蒸留所の一つといえるでしょう。
スタンダードボトルはシングルモルト『グレンタレット10年』となっています。
味わいはオレンジやレーズンを思わせる爽やかなフレーバーにバニラやはちみつといった優しい甘さのニュアンスが加わったフルーティでバランスの良いテイストとなっており、最後にスパイシーな余韻を残します。
日常の晩酌にちょっとした贅沢さを加えるにはピッタリの一本だと思います。
グレンギリー(Glen Garioch)【1785年創業】
次に紹介するのは『グレンギリー蒸留所』です。
グレンギリー蒸留所は一つ目に紹介したグレンタレット蒸留所と同じくハイランド地方にある蒸留所で、中でも東側の地域にある蒸留所です。
創業も1785年と古く、グレンタレット蒸留所と並んで歴史の長い蒸留所となります。
2021年にサントリーからリリースされた「サントリー碧Ao」のスコットランド部門の原酒として使われたことで有名です。
スタンダードボトルはシングルモルト『グレンギリー12年』となっています。
青リンゴや洋ナシなど、シェリー酒樽由来のフルーティな香りを感じ、その上でバニラのような甘味、アーモンドやカカオといった香ばしいニュアンスが特徴的な味わいになっています。
アルコール度数48%とやや高めではありますが、クセがなくフルーティな口当たりにより初心者の方にもおすすめできる一本となっています。
ザ・グレンリベット(Glenlivet)【1824年創業】
『ザ・グレンリベット蒸留所』は、歴史の話の中でも触れましたが政府公認第一号の蒸留所になります。
創業の1824年は政府公認となった年になりますが、密造時代を含めるとさらに約50年ほど前の1770年代には存在していたとも言われる、とても長い歴史を持つ蒸留所でもあります。
『スペイサイド』という地域がハイランド地方東部にあり、この地域はスコッチウイスキーの名産地として知られています。中には「グレンフィディック」「マッカラン」など世界的にも有名な蒸留所も建ち並んでいますが、ザ・グレンリベットもそのうちの一つに挙げられるほど知名度の高い蒸留所になります。
スタンダードボトルは『ザ・グレンリベット12年』となっています。
ライトボディのなめらかでスムースな口当たり。甘さが口に広がり、青リンゴや洋ナシ、レモンのような爽やかでフルーティな香りが感じられる華やかなボトルとなっています。
万人受けする味わいで初心者にもおすすめ。世界トップクラスのシェアを誇る一本となっています。
ボウモア(Bowmore)【1779年創業】
次に紹介するのは『ボウモア蒸留所』になります。
今まで紹介したハイランド地方やスペイサイドではなく、スコッチウイスキーの聖地とも言われる「アイラ島」にある蒸留所で、ボウモアは「アイラモルトの女王」と称されるほど、アイラ島で造られるウイスキーの中でも代表的な銘柄になります。
創業は1779年とアイラ島の中でも最も古く、スコットランド全体でみてもその歴史の長さはトップクラスです。
アイラ島のウイスキーは独特の香り、風味が強いのが特徴です。これは製造工程の中で海藻を多く含んだピート(泥炭)が使われる事により、磯の香り(ヨード香と言われる)が原料の大麦に宿るからです。
初めて飲んだ人はその潮臭さ(薬品臭と言われることも)に驚き、抵抗を覚える人もいるかもしれません。
ですがこのボウモアは、そのアイラモルト独特のクセが強すぎず、その先にある蜂蜜のような甘味を十分に感じられるバランスの良い味わいとなっています。
スタンダードボトルは『ボウモア12年』。
程よいスモーク香の中に柑橘系やベリー系を思わせるフレッシュなフルーツ香を感じ、口に含むと蜂蜜やバニラのような甘味を感じる事ができます。
その後ビターチョコのような深い甘味とアイラ独特のスモーク香の余韻が続いていきます。
アイラモルトの中でも飲みやすく初心者向けの味わい。アイラモルトに興味を持った方の導入編としてピッタリの一本です。
ラフロイグ(Laphroaig)【1815年創業】
アイラ島のウイスキーからもう一つ紹介。
次に紹介するのは『ラフロイグ蒸留所』になります。
1815年創業のラフロイグもアイラ島を代表する存在で、ボウモアが「アイラモルトの女王」ならラフロイグは「アイラモルトの王」と称されます。
比較的飲みやすいと紹介したボウモアとは異なり、重厚なボディに強烈な香りがするのがラフロイグ最大の特徴。薬品臭とも言われるクセのあるスモーク香は好き嫌いがはっきりと分かれますが、その奥に眠る甘く香ばしい香りに魅了されるラヴァーもたくさんいます。
スタンダードボトルは『ラフロイグ10年』。
正露丸やヨードチンキなどの薬品のような強いスモーク香が特徴。そしてその奥にモルト由来のバナナのような柔らかく甘い香りやバニラ香を感じ、同時にナッツのような香ばしい風味が追いかけてきます。
強烈なスモーク香とその先にある甘く香ばしい風味が魅力の「アイラモルトの王」。
肉料理に合わせるとピッタリな一本。
焼酎ハイボールなどが好きな方なら「ラフロイグハイボール」はきっと気に入るはずです。
まとめ
今回は、
『スコッチウイスキーの歴史』
という事でお話させていただきました。
『宗教革命』をきっかけに製造方法が一般にも広まり、また弾圧から逃れた清教徒によりアメリカ大陸へと伝来します。
その後『戦争』や『イングランドへの併合』などがあり、さまざまな財政理由により酒税が引き締められ『密造時代』へと入ります。
密造が行われる中ウイスキーは独自の進化を遂げます。そしてその完成度の高い密造酒は当時の王様をも魅了し法律(酒税法)が変わり、『政府公認蒸留所』が増えていきました。
一方アメリカ大陸に渡ったウイスキーもアメリカにおける様々な『社会情勢』によりカナダや日本へと伝わっていったのです。
つまりウイスキーは、様々な政治情勢や社会情勢といった歴史背景の中で力強く進化を続けてきたのです。
それは世の中の荒波の中でウイスキーに対する人々の情熱やウイスキー愛がずっと絶えず続いてきたという事ではないでしょうか。
スコッチウイスキーの歴史を知る事は、ウイスキーそのものの歴史を知る事と言っても過言ではありません。現代の私たちがたくさんの種類の中からウイスキーを選び、手に取り、味わう事ができるのもスコットランドにおけるウイスキーの歴史があったからに他なりません。
この記事では歴史の長い老舗の蒸留所とその代表銘柄も紹介しています。
歴史を学び、その時代から愛された銘柄を一度味わってみてはいかがでしょうか?
というわけで、今回は以上になります!
スコッチウイスキーに興味を持った方や、すでに愛飲しているが歴史までご存じなかった方にとって、スコッチの魅力に触れる一助になれたら幸いです。
ということで、
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!!
次回もよろしくお願いします。
もんたでした!